雪は天から送られた手紙である

生存確認のような?Blog

3.12から十年

昨日は東日本大震災から十年の日でしたが、今日は私が実際に被災した「長野県北部地震」から十年の日です。この記事を書くにあたって当時の写真を探してみたのですが、なかなかこれと思うのが無く、結局この写真となりました。

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この写真を撮ったのは被災してから十日ほど経って一時帰宅が許可されたので、その時に撮ったものです。最初の揺れが3月12日の早朝、午前3時59分だったのでその時はまだ暗い中を避難して写真を撮る余裕も無かったので・・・。

 

私の場合は避難した場所=職場だったので家族と一緒に避難所に着いて即災害対応に当たることになった訳ですが、職場の中も揺れの影響でゴチャゴチャになってましたし、関係機関やマスコミからの電話が鳴り続いて収拾の付かない状態。

それでも状況把握と対応に当たる内に時間が過ぎ、気がついたら3~4日位経ってたような気がします。当時の避難所はかなり手狭な状態だったので、私の家族は同じ村内で地震の影響が少なかった妻の実家に避難させました。私の方は仕事場=寝る場所状態が当たり前になり、まともに寝られたのは一時帰宅で妻の実家に一晩泊まった時でした。

被災当時、幸いにも電気の供給が止まらなかったのでその点は本当に助かったのですが、上下水道は壊滅的な被害を受け、本復旧は難しい事から仮配管での復旧でなんとか避難解除になったのですが、私の住んでいる地域は一番最後になってしまい、私が自宅に帰れたのは被災から約1ヶ月後でした。

その後は本震から1ヶ月後に大きな余震があった時、倒壊寸前の建物の中で仕事をしていて必死で避難したり、住宅の被害判定の補助をやったり、被災状況の視察対応をしたり・・・と毎日様々な仕事をしながら、いつの間にか1年、2年・・・と時が過ぎ、あっという間に十年になったという次第です。

 

十年という時は当時の記憶を薄れさせましたが、心の中に負った傷はまだ残っていると思っています。むしろ心の傷は年を追う毎に深くなっているような気がしています。

私自身が十歳年を取ったのもあるかもしれませんが、地震からの復旧・復興で心身に蓄積した疲労が数年経ってから表に出てきたのが一因かもしれないと感じています。

私を含め、地元に住む人々の生活と人生を大きく変えた「長野県北部地震」ですが、十年という時が経ち、今後は「この先の十年」をどう生きるか?ということを考えながら生活していきたいと思っています。次の十年後は今で言うと定年退職の時。黙して過ごせば無難に過ごせると思いますが、果たしてそれが自分が望んだ人生なのか?

例え1歩でも1cmでも前に踏み出し、これまでの自分とは違う何かを掴んでいければと今思っております。

最後に頂き物ですがその当時の様子を表す写真を挙げてみたいと思います。

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